前回からの続きにしてこの項の最終回。
「鴨川等間隔」の歌詞を聴いたとき、そして文字として見たとき、自分は岡崎体育という才能に震えてしまった。
MVがその後タッグを組んで世間を賑わす寿司くん制作ではなく、本人の手による手作り感いっぱいのもの(多分iMovie使用)で、被写体としての岡崎体育も今よりさらにコメントしづらい。それなのに、それなのにだ。楽曲に惹き込まれてしまう。
曲については語れるほどの知識も経験もない。でもこの楽曲の魅力は歌詞だけで十分語れる、そう思う。
ちなみに以下は言うほど真顔で書いていない。わかると思うけど。
免許更新の待ち時間 硬いパイプ椅子に尻を冷やした
売店でヤンマガ買って 知らない漫画を読んだ
出だしからこれ。
運転免許を持っている人ならわかると思うが、免許更新は人生において「不毛な時間ベスト10」に入るような空虚な時間だ。あまりに暇すぎて知らない漫画を読んでしまう流れまで含めて、一瞬にして楽曲の世界に吸い込まれる。
友達は皆それぞれの 友達と遊びに行ってんだろうし
誘えるやつも塩田くらいか アイツはいいや また今度飲みに行こう
一転、情景から心象である。
そして、「課された不毛」から「自由の中の不毛」へと切り替わる。
みんなは今頃何か有益なことしてんだろうな。何かしたい。声かけたら必ず会えるやつはいるけどでも、そういうんじゃない。そんなこと、学生時代はいつも思ってた気がする。
久しぶりに服でも買うかな 1人で通りを行ったり来たり
無意識にまたネイビーブルーを手に取り無難を求めちまうぜ
(世間の目ばかり気にしちまうぜ)
同じく、目的なんてない。ただやっぱり、他人の事が気になるんだ。
鴨川等間隔 寄り添う恋人達の心理的距離
風になびく髪を耳にかける仕草だけは許してやろう
鴨川等間隔 橋の上 見下ろしながら見下される十六文キックでカミから順に蹴落としたりたい気分だぜ
サビ。
「見下ろしながら見下される」という秀逸なフレーズ。そして、その状況を「うわーっ」ってこわしたくなる気持ち。
もはやこの1番の歌詞だけで芥川賞が取れる。だいたいなんだよ最近の芥川賞は。あんなのより100いいわ。100。間違いなく。
以前、この楽曲について同じように解説をしているブログがあった。
ものすごく褒めているので、「そうそう」みたいな気持ちもありながら読んだんだけれど、
「勝手な想像ですが、親しい友人たちが先に卒業して、親しい友人は塩田のみとなり、偶然キャンパスで誰かに会って、軽口叩いてみたいなことが無くなってしまったさみしい、かつ将来への不安で吐き気さえ感じる日々なのでしょうか?」
こんな分析で萎えてしまった。
たしかに私小説的な世界観で、かつMVの作りやその中での岡崎体育を見ると実体験のように見えなくもない。
ただ、そんなふうに感想をシュリンクしてしまうのは違うと強く思った。
満ち足りた生活を送っていても、その端々で不安や嫉妬、まさに不毛な感覚に苛まれることはある。そういった刹那的な感覚を紐解いて楽曲の主人公像をつくったとは考えられないものか。
尾崎豊は「窓ガラスを壊してまわった」のか、中島みゆきは「道に倒れ名前を呼び続けた」というのか。
いや、岡崎体育自身が実体験として捉えてもらった方が面白いと考えていた可能性も、まさにすべてがノンフィクションという可能性もある。しかし、リスナーをAメロ頭から吸収し、情景と心象をオーバーラップさせるこの歌詞には、「こんなことがあってこんなこと思ったやでー」では誤魔化しきれない彼の繊細な視点や誰とも違う言語感覚が隠れている気がするのである。
2番以降も、
無意識にまたPSPを起動しレベルを上げてしまうぜ
(上げたら上げたで寂しくなんぜ)
はじめ、聴けば聴くほど「あれ?これ俺が思ってることなんじゃないっけ?」となるくらいに深入りさせられてしまう。
もう一度言うが、これはもう芥川賞あげていい。
下手すると、エンタメ性の強いアルバム収録曲で直木賞とってダブル受賞でもいい。
でもきっと、彼はこの「鴨川等間隔」を書いたときとはもうフェーズが違っていて、さらに言うと「MUSIC VIDEO」を書いたときとも違っているんだろうと思う。
「音楽を愚弄している」とかいう意見も呑み込みつつ、新しいことをやっていくであろう岡崎体育の積み上げてきたフェーズの中にこの楽曲のようなものがあったことを記憶していてもらいたい。いつかきっと、「鴨川等間隔」を昇華したようなストレートな楽曲がヘビロテされる日が来る。
長々と書いてきた挙句、大した結論もないという、非常にチラ裏ブログらしい結末がすばらしいなあ。
あ、音源がどうしても欲しいんだけどどうにかしてください。
0コメント